「原点回帰のジレンマ」
君は知っているかネ?
現世では植物に多彩さを求めて日々実験を行っているということを。
特に現世の人間達がなけなしの労力を振り搾っているのが、花だというじゃないかネ。
様々な花が存在するらしいが、最近は山百合で実験するのが人気だと聞くヨ?
戦闘用の花でも作るのかと思いきや、単に愛でるための花を作るのだとか。
色、大きさ、形、香り・・・技術の粋を集めた結果として生み出したものに対しては賞賛を与えるとするヨ。
・・・そのような何も役に立たないものに、良くもまぁそのなけなしの力を振り絞れるものだネ。
そう思わないかネ?
だがね、誤解しないでくれたまえヨ?
私はそのようななけなしの労力を費やすのは、嫌いではないのだヨ。
科学者たるもの、常にそれぞれが持つ「己の目指す完全」を求めるのは
至って自然なことであって、そのためには私もまた、それなりの労力は惜しまないほうなのだヨ。
だから山百合の花の「完全なる美しさの世界」を広げようと求めるのも、分からなくはないヨ?
単に、私ならば愛でるための花などに労力など注ぎ込まない、と言うだけの話だヨ。
ところが、現世の人間の中には、そのような努力さえも省みない輩も存在するのだヨ。
私には役に立たないものに対して労力を惜しまないことよりも、理解できないものでネ。
愚の骨頂とまでは言わないが、誠に残念なことだヨ。
自然の中に生じる、手を加えぬありのままの原種が美しいなどとは。
ものの原点、原種に立ち戻ってその価値を評価しよう、原点回帰しようなどとは。
・・・全くもって、不愉快だヨ。
おや?私が一体どんなものになら労力を惜しむのか、と?
君達に説明しなくてはならないのかネ?
・・・フン、まあいい。
「・・・マユリ様、準備が整いました。」
たとえば、とても完全とは言いがたいが、
ネムは私の作品の中でも比較的良くできたと我ながら感心するヨ。
私の血と技術の粋を注ぎ込んだ、私の「娘」だからネ?
私の技術はこれほどまでに優れた作品を生み出したわけだヨ。
更に、今までの義骸や義魂とは違い、ネムには私と同じ血が流れているわけだヨ。
つまるところ、私の「娘」というよりは、私の「分身」と言ったほうが正しいのかネ?
私という一人の身から生まれたのだからネ。
・・・ゆえに私と比べ、私にあってネムに足りぬところがあれば、酷い苛立ちを覚えるのだヨ。
完全を求めるが故の科学者の性とでも言ってくれたまえヨ。
・・・なんだね?私が原点回帰をしているというのかネ?
私を愚弄するつもりかネ???
しかし・・・
ありとあらゆる私の持つ技術の粋を集めた結果としてここに存在するネム。
私と同じ血を流し、私より劣るところを見れば苛立ちを覚える「娘」。
何よりも私と同じでなければ気が済まない「分身」。
つまるところ、私が今、完全なるものとして求めているのは、
もしや、
ネムという私の「分身」を通して見た、私という「本体」の再現?
ネムという「鏡」を通して見た、私という素の「存在」の再現?
・・・何だね、ではこの私が、ネムという「品種」を通して見た、
私という「原種」そのものの価値確認をしているとでもいうのかネ・・・?
「完全」を目指す私が、出発点である「原種」を愛でているとでもいうのかネ・・・。
フン・・・
全くもって、不愉快なものだヨ・・・。
山百合は山林の中でひそやかに、けれども悠々と咲いている姿が美しいです。
けれども、一方で品種改良の親となることも多く、
たとえば王道の「カサブランカ」も山百合の改良品種なんですよね。
植物図鑑で「オリエンタルハイブリッド」となっているユリの仲間は、
ほぼ山百合の子供達と思っていいかもしれません。
そんな「品種改良」という視点から、異色ながらマユリ様でいじって見ました。
結局は、ネムさんを愛でる・・・「改良品種、分身」である彼女を、
マユリ様自身と比べて足りないところがあって苛立ちを覚えていたりもしているように見えるので、
どうも私には「自分」という「原種」を愛でて、ネムさんという「改良種」をそれに近づけようと
躍起になっているように見えるんですよね。
原種を超えようとして躍起になっている割には、原種に原点回帰しようとしているようなかんじで。
・・・書き終わってから「ヤ『マユリ』様」なことに気付きました。
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