『稲穂の如くあれ』
・・・まったく、何も知らぬのだな、白哉坊。
お主はつまらぬ奴じゃ。
確かにお主は鍛錬も欠かさず、勉学にも励み、次期当主たるべき研鑽を積んでいることは
このわしも知っておるわ。
じゃがの、白哉坊、
お主はそれだけで、全てを知ったつもりか?
例えば、じゃ。
・・・そこにある米粒一つについてすら、何もお主は知らぬじゃろ?
お主が何気なく口にしているその米粒ひとつに、どれだけの思いが込められているのかを。
その一つの米粒を作るために、
お主の知らぬところで、季節の移ろいに併せて多くの者が係わっておるのじゃ。
時に天を仰いで日を待ち、時に地を見やっては水を待つ。
そうやって多くのものが一喜一憂しながら見守り続けた結果、
やがて秋には頭を重くたれた黄金の稲穂が実るのじゃ。
そのようなことくらい知っておる、じゃと?
・・・そうかのう?
白哉坊、お主の「知っている」は、単なる知識であって、理解ではあるまい。
わしらの生活は、そのような多くの者の手を経た結果として存在しておるのじゃ。
生活だけではない、命そのもの、とでもいうべきじゃな。
そうやって、お互いに貴賎も位の高低の差も越えてつながっているからこそ、
わしらはこうやって存在できるのじゃ。
たかが米粒一つと侮ることなかれ、撒けば百の実をつける。
それを撒き続ければ、さて、その実は・・・数え切れぬほどになるじゃろうな。
わしらも同じことじゃ。
一つ実ったつながりのその先には、無数の見えぬ繋がりが続いておるのじゃ。
まぁ、下らぬ、と簡単に切り捨てることはできるが、
今のところ、上から見下ろすだけしか出来ないようなお主が、
さて、人の上に立ち続けることができるものかのぅ?
これから先も上だけ見上げ、上に立ち、上から見下ろすことしか脳に無いようならば、
いずれはひょいと足元をすくわれることになるかもしれんな。
どんなに天を目指し健やかに伸びる若い稲穂の苗も、株元から刈られてしまえば・・・
言わなくとも、分かるじゃろ?
・・・次期当主としての『研鑽』を積んでいるお主ならな、白哉坊。
そして、
「つながり」から外れた、外された、断ち切られた存在は、自由でこそあれど、孤独じゃ。
なにより、危うい。
米も炊いてしまえば・・・生命の循環の輪から外されてしまえば、断ち切られてしまえば、
後につながることなく、ただ朽ちるのみ・・そうじゃろう?
・・・もっと世界を見るのじゃ、白哉坊。
お主をとりまく世界を。お主とつながる存在を。
そして知るのじゃ、お主がこの世界に生きる存在として知るべき全てを。
秋に踊る黄金の稲穂のような、実の詰まった豊かな存在になるのじゃ。
夜一さんは、上に立つ者でありながらも常に人の輪の中にいたという印象があります。
貴賎を問わず、また上下を問わずに。
それゆえに刑軍の結束も固かったのでしょうし、あの砕蜂さんが極端なくらいの崇拝?ぶりにまで至るのではないか、と。
それなりの苦労もし、多くのものを見てきたんだろうな、と思ったりします。ソレゆえの強さなんだろうな、と。
まさに「実の詰まった」、味わいのあるすごい人なんじゃないかな、なんて。
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