
あの年、庭に咲いていたはずの梅の花の姿を、私は覚えていない。
お前の姉は今際のときまで、探し、想っていたな。
生きているかどうかさえも分からない、お前のことを。
私も、何度も「既に・・・」と思い、口に出しかけ、そして言葉を飲み込んだ。
・・・信じ、探し、想い続けること、それ自体が、
お前の姉の命を縮め、そして命を繋ぐものになっていたのだから。
その翌年の、庭に咲いた梅の花の記憶は、おぼろげに残っている。
お前は姉と同じように、この屋敷に殆ど身ひとつでやってきたな。
本当の理由も聞かされず、訳も分からぬままに。
私は、あの丘でお前と向き合う時に至るまで、一度もお前に真実を語る事は無かったな。
・・・ただかつての約束を守り、貫き通すこと、それだけが
私がお前に唯一出来る事だと思いこんでいたのだから。
・・・それから私の記憶にあるのは、彩のない庭の彩のない梅の花。
そうではない、ということに気付くのは、それから何十年も経た後のこと。
そして・・・今年、
― 兄様、今朝、梅の花が咲きました!!早く此方へ!!
そう、彩はあったのだ。
庭に降りて私を呼び、鮮やかに咲く・・・白い、梅の花。
お前もまた、佩びる刀とは別に、お前の内に私の名と同じ彩を持っていたのだな。
傍にいるにも拘わらず気付かなかったのは、情けないことではある。
故に、
己の意思で護ると決めた、清らな声色を、いとおしいその姿を、光を放つようなその笑顔を、
目に、心に、記憶に焼き付けて、決して忘れまい。
・・・そう、覚えておく、ではなく・・・私は、忘れまい。
掟に盲従した『己への戒め』ではなく、
心の内に燈った、久方ぶりの『己の意思』を貫くため。
・・・『覚えておく』など、当然のことなのだから。
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