桜 其の三

 

『東雲の桜』
 
 
まだ日も明けぬ空の下、浮かび上がる桜は墨色を帯びていて、
私は・・・そのどこか冷ややかなものを纏う姿から、
近づくのをついためらっていたのですが。
 
・・・そう、かつての・・・あの人のような、その姿に。
 
 
「・・・もう起きていたのだな。」
「お、おはようございます・・・兄様」
 
明け方、いつもよりも早く目が覚めてしまったので縁側に出たところ、
庭に植えられた満開の桜が墨色に染まっていたのです。
夜明け前の薄明かりの色に染まっただけなのでしょうけれど、
どこか・・・冷ややかなものを、感じたのです。
 
・・・そう、以前・・・この世界で、そしてこの家で、ずっと感じていたようなものを。
居場所を見出すことが最後まで出来なかった、この場所で。
 
 
どのくらいの間、沈黙が支配していたのでしょうか。
それを静かに破るかのように。 
 
「ルキア、」
「は、はい・・・兄様」
「・・・ついて来い」
「え・・・」
 
聞き返そうとしたときには、既に後姿。
まるで、私の問いを遮り、有無を言わせぬような。
 
・・・今までも、そうでした・・・。
 
 
 
私は羽織を肩に掛けながら、縁側から庭に降りられた兄様について行きました。
てっきり桜の傍へ向かわれるのだと思ったのですが、兄様は桜から離れて・・・庭の東の方へ。
有無を言わせぬ後姿から、どちらに向かわれるのか・・・尋ねるのも憚られて、
私に出来たのは、ただ付いていくことのみでした。
 
ふと、兄様が足を止められ、後を振り返られ。
私が恐る恐る兄様を見上げると・・・
 
「・・・後ろを、見てみろ」
 
 
 
 
 
もしも、
 
都殿が海燕殿に心を預けて旅立たれたのであれば、
その海燕殿は、私に心を預けてくださった・・・
私は、あなた方二人の心を、この身に預かっているのですよね。
 
私のこれっぽっちの双眸を通して、ですが・・・
見えますか?海燕殿、都殿・・・
 
私が振り返った先には、
墨色を纏った冷たい桜は既になかったのです。
 
 
 
 
 
 
そこにあったのは、東雲の空の色に染まった、桜の雲。
時が刻まれるにつれて、その色彩を変えてゆく・・・空と、桜。
 
墨色がかっていた桜は、薄い紫を帯び、やがて淡い青、それから・・・
柔らかな薄緑、薄黄、橙、茜色・・・
移り変わる光の色を・・・その身に染めて、纏って、輝いていたのです。
 
そして・・・
 
 
「・・・うわぁ・・・」
 
日の光が射したその瞬間、桜の花は、きらり、と輝いたのです。
一瞬だけの、金色の光。
けれどもそれはとても眩しくて、荘厳で、でも暖かで、穏やかで・・・
 
 
「・・・見事だな」
 
兄様はそうつぶやくと、ふっ・・・と私を一瞥し、
それから何事も無かったかのように、再び屋敷のほうへ足を進められました。
 
 
 
何故、兄様は・・・
 
・・・そして、今・・・一瞬だけ・・・垣間見えた、あの・・・・
 
 
 
 
 
海燕殿、都殿・・・
私には、まだまだ知らないこと、知るべきことが沢山あるのですね。
もう少し・・・この場所で、あの人の傍で、知りたいと思えるようになりました。

 

 

 

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