『東雲の桜』
まだ日も明けぬ空の下、浮かび上がる桜は墨色を帯びていて、
私は・・・そのどこか冷ややかなものを纏う姿から、
近づくのをついためらっていたのですが。
・・・そう、かつての・・・あの人のような、その姿に。
「・・・もう起きていたのだな。」
「お、おはようございます・・・兄様」
明け方、いつもよりも早く目が覚めてしまったので縁側に出たところ、
庭に植えられた満開の桜が墨色に染まっていたのです。
夜明け前の薄明かりの色に染まっただけなのでしょうけれど、
どこか・・・冷ややかなものを、感じたのです。
・・・そう、以前・・・この世界で、そしてこの家で、ずっと感じていたようなものを。
居場所を見出すことが最後まで出来なかった、この場所で。
どのくらいの間、沈黙が支配していたのでしょうか。
それを静かに破るかのように。
「ルキア、」
「は、はい・・・兄様」
「・・・ついて来い」
「え・・・」
聞き返そうとしたときには、既に後姿。
まるで、私の問いを遮り、有無を言わせぬような。
・・・今までも、そうでした・・・。
私は羽織を肩に掛けながら、縁側から庭に降りられた兄様について行きました。
てっきり桜の傍へ向かわれるのだと思ったのですが、兄様は桜から離れて・・・庭の東の方へ。
有無を言わせぬ後姿から、どちらに向かわれるのか・・・尋ねるのも憚られて、
私に出来たのは、ただ付いていくことのみでした。
ふと、兄様が足を止められ、後を振り返られ。
私が恐る恐る兄様を見上げると・・・
「・・・後ろを、見てみろ」
もしも、
都殿が海燕殿に心を預けて旅立たれたのであれば、
その海燕殿は、私に心を預けてくださった・・・
私は、あなた方二人の心を、この身に預かっているのですよね。
私のこれっぽっちの双眸を通して、ですが・・・
見えますか?海燕殿、都殿・・・
私が振り返った先には、
墨色を纏った冷たい桜は既になかったのです。
そこにあったのは、東雲の空の色に染まった、桜の雲。
時が刻まれるにつれて、その色彩を変えてゆく・・・空と、桜。
墨色がかっていた桜は、薄い紫を帯び、やがて淡い青、それから・・・
柔らかな薄緑、薄黄、橙、茜色・・・
移り変わる光の色を・・・その身に染めて、纏って、輝いていたのです。
そして・・・
「・・・うわぁ・・・」
日の光が射したその瞬間、桜の花は、きらり、と輝いたのです。
一瞬だけの、金色の光。
けれどもそれはとても眩しくて、荘厳で、でも暖かで、穏やかで・・・
「・・・見事だな」
兄様はそうつぶやくと、ふっ・・・と私を一瞥し、
それから何事も無かったかのように、再び屋敷のほうへ足を進められました。
何故、兄様は・・・
・・・そして、今・・・一瞬だけ・・・垣間見えた、あの・・・・
海燕殿、都殿・・・
私には、まだまだ知らないこと、知るべきことが沢山あるのですね。
もう少し・・・この場所で、あの人の傍で、知りたいと思えるようになりました。
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