『 蛍花 ~稀なるものは繁きもの~ 』 (前編)
職務を終え屋敷に戻ったが、常ならば出迎えに来るはずのルキアの姿が無い。
・・・確か、今日は休みだと聞いていたのだが。
「清家、ルキアは如何した?」
「午後から外出をされまして、夕刻にはお戻りになられるとのことでございましたが・・・。」
「・・・、そうか。」
一瞬、何か・・・嫌な予感が胸の内を過ぎったが、気のせいだと思うことにした。
そして何事も無かったかのように部屋に向かい、着替えを済ませて書を眺めていた。
どれ程の時が流れた頃であろうか。
屋敷の者が騒がしくなった・・・ルキアが戻ってきたのであろう。
・・・が、その騒ぎは尋常ではなかった。
そして、何時もなら取り乱すことのない清家が、慌しくやってきたのである。
「白哉様!!」
「騒がしいぞ清家」
「ハ、申し訳御座いませぬ!!」
「如何したのだ?」
「そ、それが・・・ルキア様が、」
清家から事を聞き終わるか否かのうちに、私は立ち上がり・・・足を玄関に進めていた。
玄関には、ところどころ擦り傷や切り傷を負い、身に付けていた衣を泥に染めたルキアが。
顔にまで泥や・・・うっすらと傷が付いている。
一体何事なのか?
野犬にでも襲われたのか?それとも人攫いか?善からぬ輩か?
仮にも死神の端くれであろうお前が、そのような類のものに傷を負わされる、
・・・其のようなことは無かろうが、
其れが万が一真実であれば・・・只では済まさぬ。
私は努めて、淡々と言葉を口にする。
「・・・何をしていた」
「帰りが遅くなり、ご迷惑をお掛けいたしました。申し訳ありませぬ。」
「何をしていた、と聞いているのだ。」
ルキアは無言のまま、口を貝のように開かない。
その姿に、徐々に苛立ちが募る。
それでも、此の娘が言葉を口に出来るように、と・・・尚も努めて冷静を装っていたのだが。
「私には、言えぬことか。」
「・・・何もしておりません。本当に何もしていないし、何もないのです。」
「ならば何故そのように顔にまで傷を作り、泥まみれの乱れた姿になっておるのだ。
転んだ、だけでは説明にはならぬな、その有様は。」
遂に己の我慢の限界に達したようで、声色に若干の怒りを滲ませて問えば、
目の前の娘は、諦めたかのようにため息をついた。
「・・・お知りになられたら、朽木の者として有り得ぬ行為だとお怒りになられるどころか、
恐らく呆れられるでしょうけれど・・・・」
ルキアが袂から出したのは、紫の・・・釣鐘のような花であった。
摘んでから時間を経ているらしく、萎れかかっていたが。
その細くて白い指にそっと摘まれた紫の釣鐘は、初めて目にするものであった。
だが・・・確か・・・色の違う似たようなものは・・・
「・・・それは?」
「蛍袋、です。」
「・・・蛍袋、か?」
話によれば、流魂街の外れの山で蛍を見かけた、と聞いたらしく・・・
あいにく休みを同じくするものがおらぬため、一人で探しに出たのだ、という。
蛍などこの時期にはまだ早いのでは、と思ったが、此の娘が言うには、今くらいからでもいるのだという。
だが、流石に蛍が舞うには日も高く、見つからなかったようでは、ある。
それでも遅くならぬよう夕方頃には戻るつもりでいたらしいが、
蛍を探す途中で・・・その花を見つけたそうである。
最初に見つけたのは紫の花。
それはかつて此の娘が育ったあの土地にも生えていたのだという。
そしてその土地には、紫色の株しかなかったそうであるが・・・・
兎に角、ルキアは山に生える蛍袋を見るのは久しぶりだったらしく、一輪摘んだのだそうだ。
だが・・・ルキアが見上げた少し高い斜面に、白色の蛍袋が生えていたそうである。
「・・・それで?」
「・・・白色の蛍袋は初めて見たし、とても綺麗だったので、どうしても欲しくなって・・・」
紫の蛍袋を傷めぬように袂にしまい、
この娘は藪に分け入り斜面を登り、白の花の許に辿り着き・・・
「・・・ですが、足を滑らせてしまって・・・・」
この娘は、斜面から麓・・・紫花の株の傍まで滑り落ちてしまったのだという。
その際、袂にしまった蛍袋を潰すまいとしたようで、
結果として体中の切り傷や擦り傷を作り、衣を泥だらけにしてしまったらしい。
「ですが、ここまでひどいことになっているとは・・・日も沈み薄暗くなっていたので、気付かなくて。」
「それで、白の花はどうした?」
「滑り落ちる際に掴み損ねて・・・結局手にすることは出来ませんでした。」
「そうか。」
目の前の娘は、半分泣き出しそうな目をしながら、途方に暮れたように笑った。
「とても綺麗な花でした・・・夕闇にも染まらずに、白く浮き上がっていて・・・・
まるで、兄様のようだと思いました。」
しかし、やがてその面は徐々に伏せられ・・・
終いには私からその表情を見ることが叶わなくなった。
「だから、お見せしたかったんです・・・兄様にも・・・・」
蚊の泣くように、そして消え行くように・・・俯きながら語るこの娘・・・・
その手にしている、夕闇の色に染まった・・・萎れた蛍袋のようだ。
憂いをどこか帯びた様な姿はいとおしくもあるが、此の目にあまり捉えたくは無い。
今まで背を向けながらも、其の姿を何度も・・・
「・・・軽い切り傷と擦り傷、そして衣を汚した位で済んだのであれば、それで構わぬ。
お前のすることに対して、今更呆れもせぬ。」
「申し訳ありませぬ。」
・・・だが、と、言葉を続けようとした。
が、己の意に反して口は動かなかった。
この娘を萎れた蛍袋のような状態のままに、したくはなかったのだが。
ルキアを湯殿に通すように指示し、私は何かを諦めて自室に戻る。
遠ざかる玄関から、侍女がルキアに対して・・・蛍袋を預けるよう、柔らかな声音で宥める様に促しているのが聞こえた。恐らくは、水に挿して様子を見るのだろう。
水を吸い上げるかどうかは五分五分であろうが、落ち込んだあの娘に対する接し方としては
賢明なものであろう。
・・・ちりり、と、己の内奥で何かが傷んだような気がした。
他の者が容易く成せることが、何故、私には・・・
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