ほたるぶくろ

『 蛍花 ~稀なるものは繁きもの~』 (後編)

 

侍女の手で一輪挿しに活けられた蛍袋を、私は清家に命じてルキアの部屋ではなく、自室に置かせた。

 

それから、あることを清家に尋ねた。
聞けば、日こそ落ちてはいたものの、為すのにそれ程困難も無く時間は掛からぬとのことだったので、
・・・早速為すように指示した。
 
 
やがて、湯殿で泥を落とし、傷の手当を受けたルキアが、
一輪挿しに活けられた蛍袋の行方を知って部屋を尋ねてきた。
 
「何故、兄様のお部屋に・・・しかも萎れていたのに、」
「私に見せたかったのだろう?蛍袋を。」
「ですが、それは白い花のほうで」
 
と、言いかけたところで、ルキアの言葉が止まる。
 
「あ・・・」
 
萎れていた紫の蛍袋は水を吸い上げ、粗方は元の小さな釣鐘の姿に戻っていた。
そして、その傍には・・・
 
「白い・・・蛍袋・・・」
 
 
「・・・屋敷の裏にも、白花なら咲いておる。
茶花として用いることもあるだろうと植えてあるのだ。
もっとも、お前はそのことを知らぬから・・・白花を摘もうとしたのだろうが。」
「・・・・」
 
屋敷の裏に植えられていた白い蛍袋が、漸く水を吸い上げた紫の蛍袋と共に活けられていた。
私が指示したために気を利かせて大きなものを用意したのだろう、
ルキアの摘んできたものと共に活けられ、色合いこそ調和しているが、どこか大きさや高さの釣合が取れていない。
 
・・・だが、今はそのような事はどうでもよい・・・・
只、私は・・・
 
「別段、白い花も珍しいものではない。
お前が欲しいと願い、取り損ねたと思ったものは、意外と身近にあったのだ。」
「そうだったのですか・・・しかもこのように立派なものが。
私が見つけたものよりもずっと・・・綺麗な・・・・」
 
目の前の娘は、再び俯いてしまった。
 
 
 
・・・何故、俯く?
 
私は・・・お前が初めて見つけて、綺麗だと心から思ったと語った其れを、
お前の近くで、じっくり見せてやりたかっただけなのだが。
 
それに、お前が傷だらけの泥まみれになりながらも持ち帰った紫の花を、
お前が綺麗だと思った其れと同じくらいに、私も綺麗だと感じた。
初めて見た、淡くも深い紫の、奥ゆかしくも素朴な、其れ。
只手元に置き、眺めていたいと・・・・
 
お前が綺麗だと感じたものと、私が綺麗だと感じたもの、
それを共に愛でることが出来たなら・・・
私が望んだ事は、只それだけ、その程度のことなのだ。
故に、二輪の花を同じ一輪挿しに活けさせたのだ。
 
だが・・・
 
どうすれば、伝わるのか。
・・・口にせねば、伝わらぬこと位分からぬほど、私は愚かでもないが・・・
今までも、幾度と無くそうして様々な言の葉を飲み込んできた。
そう、先ほども・・・
 
本当に、それで良いのか。
・・・否。
 
故に、言葉を今度は飲み込まずに、放つ。
 
 
 
「私は逆に・・・お前の持ってきた紫の花を初めて見た。」
「・・・そうだったのですか?」
「故に最初、お前が持ってきたものがその白い蛍袋と同じ花だと分からなかったのだが。」
「寧ろ私は、紫のほうばかりを見てきましたから・・・
紫の蛍袋のほうが、沢山その辺りに咲いているものだとばかり。」
「先ほどは萎れてこそいたものの、それでもなお奥ゆかしい彩りだと思えた。
・・・お前はあの土地でも、美しいものをその目に映すことが出来たのだな。」
 
「私は、白い花を今日、初めて見たのです。
本当に黄昏の色に辺りが染められてゆく中で、なおも白く染まらずに浮かんでいて・・・・」
「私のようだった、と?」
「そ、それは・・・兄様のお名前がそうですし、」
 
「でも、本当に・・・綺麗だったんです。
紫の色は夕闇に溶けてしまうけれど、白い色は蛍が入っていないのに、
提灯みたいにぼんやりと夕闇を照らしてくれるようで。
も、勿論・・・蛍を入れて遊んだ事は無いですよ、蛍が可愛そうですから。」
「夕闇を照らす・・・か。」
 
 
 
・・・私は、お前を照らしてやれているのだろうか。
その白い花よりも、私がお前にもたらせる明かりは・・・・
 
いや、今は考えるのをよそう。
今照らしてやれていないのであれば、これから照らしてやれるようにすればよい。
 
そう、これから・・・・
 
 
 
「改めて見てみると、どちらの色も形も、華美さは無くとも、見目良いものだな。」
「本当に・・・綺麗ですね。」
「だが、私に命じられた為か、清家め、どうやら大きく育ったものを活けさせたようだな。
・・・お前が取ってきたものと、裏に植えられていたもの、大きさで釣合が取れぬ・・・。
まるで間延びした様だな、白いほうが。」
「そんな事はございませぬ。
白い花はそれ一輪で風雅さをまとうだけの力がございます。
私が持ち帰ってきた紫の花が寧ろ邪魔をしているのではないかと・・・・」
「そのようなことは、」
 
「・・・それに、草丈や大きさを見れば、
なんだかちっぽけな存在である私と、格の高い兄様みたいですね。
花の纏う格も、白い花と私の持ってきたものでは・・・違いすぎますね。
どちらの花も綺麗ですが、やはり白い花の邪魔をしないように、分けていただいたほうが」
 
「ルキア、
・・・彩りというのは、其れ一色でも確かに美しい。
白花には白花の、紫の花には紫の花の、其々が纏う空気や品格、表情があるやもしれぬ。」
 
「ええ・・・そうですね。」
 
「だが、二色あって、初めて・・・
互いが元来帯びている彩りを鮮やかに引き立て、より映えたものとすることが出来るのだ。
・・・全てが同じ彩りでは、つまらぬ。」
 
水を吸い上げて生来の彩りを取り戻しつつある蛍袋のように、
活けられた二色の花を見ながら・・・漸く此の娘も笑った。
 
 
 
不意に・・・
漸く私に与えられた安堵と共に、先刻伝えるべきであった言葉が
私の胸の内に沸きあがる。
 
何故、私はあの時・・・清家の説明を聞き終わるのを待たずに玄関まで行ったのか。
其れを知れば、お前のほうが私に対して呆れるだろうな。
 
他方、お前にとっては白花の蛍袋と同じように、
其れは珍しく、得がたいものと思っているのやも知れぬ。
 
 だが・・・忘れてくれるな。
其れは常に私の内に在り、決して稀有なものではない、ということを。
お前がかつて何度も見つけた、あの土地にありふれた紫色の花のように。
此の家の裏庭に幾らでも咲く、ありふれた白色の花のように。
 
 
何より、
 
 
 
確かに一色でも、それだけで輝きを放つ彩りはあろう。
だが・・・二色あってこそ、初めて知る彩りもある。
異なる彩りを纏うからこそ、互いをより鮮やかに引き立て合うことも出来る。
 
其れは我らもまた同じやも知れぬ。
 
一色の彩りしか纏えなくなることの虚しさを、私は知っている・・・
二度と、あのような思いだけは・・・
 
それ故、私は・・・あの時、 
 
 
 
 
「お前は白い花を知らず珍しいものだと思い、私は紫の花を知らずに珍しいと思った、」
「そうですね。」
「だが・・・それ以外にも、お前が珍しい、得がたい、と思うものほど、
意外と傍にあるものなのやも知れぬ。
私が珍しい、得がたい、と思うものが意外と傍にあったように。」
「兄様・・・?」
 
「蛍も、やはりまだ時期が早かろうな。
いずれ休みが重なった時があれば、夜の散歩の道すがら共に探せばよいだろう。
白花と同じように・・・屋敷の中の水辺にも現れるやも知れぬ。」
 
 
・・・先刻、此の娘に伝えようとして飲み込んだ言葉が、ようやく口から放たれる。
その言葉を聞いたルキアは、それこそ珍しげに私を見上げたのだが。
 
 
 
「故に・・・あまり無茶をして、心配させるな。」

 

 

 

 

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