立葵 (一)
『梅天に咲く』



あなたを護ったあの日のこと、今も忘れることなどありません。
この身が滅び、露と消えた後も・・・

そう、あなたとお別れをすることになったのは、こんな季節のことだったわ。

幼いあなたには、辛い思いをさせたかもしれません。

でも、一護・・・
母さんはね、あの時のこと、一度だって後悔なんてしたことないわ。
大事な宝物であるあなたと出会えて、一緒に過ごせて、そして護ることができて、
本当に幸せだったと思うから。
あなたが助かってくれて・・・本当に嬉しかったから。

たとえ・・・あなたや夏梨、遊子と永遠に逢えなくなってしまう、としても。


あなたもいつか知るでしょう。
本当に護るべき、そして護りたいと思ったとき、人間はね、
他にもっと安全な選択肢があったとしても、自分も護りたい相手も助かる方法があったとしても、
そんなことどうでも良くなるの。
只、『護りたい』・・・その思いだけで、他の思惑は全てどこか行ってしまうの。
その代わり・・・自分でも思いもよらないくらいに、それは強い力を持つこともあるの。

・・・あのときの母さんも、そうだったの。

私のこの眼に最期に映していたのは、他でもないあなた。
何があろうとも、護らなければならないもの。
・・・母さんの、大事な宝物。


あなたの心の中には、まだあのときの事が、深い傷となって刻まれているのでしょう。
優しいあなたのことだから、きっと・・・
私を護れなかったことを、ずっと責め続けているのかもしれませんね。

そして、この雨の季節になるたびに
あのときの事が記憶の彼方から甦り、あなたを苦しめるのでしょう。

でも・・・どうかこれだけは忘れないで。
冬の後には必ず春が来るように、
闇夜の後には必ず曙の光がもたらされるように、
雨の後には、必ず澄んだ青空が広がるの。

・・・降り止まない雨は、無いの。

今はまだ、梅雨の長雨に包まれて、
街もあなたの記憶も・・・鈍色のもやの中にいるのかもしれないけれど、それでも・・・

・・・ほら、あの花を見て・・・悠々と咲く立葵。
梅雨の入りと共に下から咲き始めて・・・梅雨の明けと共に一番上の花が咲くのよ。
もう、半分以上咲いているわ。

大丈夫。
此の街も、もうじき雨の季節に別れを告げて、眩しくて力強い陽に包まれるわ。

そして、あなたの記憶に降り続ける雨も・・・きっともうすぐ、止むから。
あなたの心に留まり続けた梅雨の空も、もう直ぐ遠のいて・・・必ず、明けるから。

きっと、晴れる時が来るから・・・。

だから、自分の護りたいものの為に、自分の信じるものの為に、
其の歩みを止めることなく、進みなさい。
母さんを護れなかったことを、自分の弱さを悔やむなら、其の分、
あなたが護りたいと思うもののために、あなたの力を使いなさい。

あなたの抱く志のままに、生きてゆきなさい。


・・・それだけが、あなたへ伝えたい、私の願いです。

 

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