鳳仙花

 

『 爪紅の花に ~沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」より~

 

 

 

・・・姉様、

 

てぃんさぐぬ花や
爪先(ちみざち)に染(す)みてぃ
親(うや)ぬゆし事(ぐとぅ)や
肝(ちむ)に染みり
鳳仙花の花は
爪先に淡く染めなさい。
親の言うことは、
心に深く染めなさい。
 
 
もしも姉様、貴女にお会いできていたら、
私に、どのような言葉を残してくださっただろう。
・・・今はもう、願っても叶わないけれど。
 
 
 

天ぬぶり星(ぶし)や
読(ゆ)みばゆまりゆい
親(うや)ぬゆし言(ぐとぅ)や
読(ゆ)みやならん
 
 天の群星は
数えようと思えば数えきれるけど、
親が私を思って言うことは、
決して数えきれやしない。
 
それでもきっと、私を思ってくださったその御心は、
数え切れる天の星をも包むほど大きく、
何処までも広がる空の青よりも深いかもしれない。
 
 
 
夜はらす舟(ふに)や
にぬふぁ星(ぶし)見(み)あてぃ
我(わん)なちぇる親や
我(わん)どぅみあてぃ
 
夜、沖に出る舟は
北極星をいつも見つめ、
私を産んでくれた親は
私をいつも見つめてくれている。
 
限られた命の中で、ご自分の為に生きても良かったのに、
最後は私の為に生きた貴女。
そう、その最後の時まで貴女は私を思い続けてくれていた。
 
 
 

宝玉(たからだま)やてぃん
がかにばさびす
朝夕肝(あさゆちむ)みがち
浮世(うちゆ)渡ら
 
どんな宝石も
磨かなくては曇り錆びてしまうもの
朝晩に心を磨いて、
世の中を生きていこう。
 
貴女が残した想いはまるで輝きで私を照らす宝石のよう。
その光を曇らせぬように自分を磨き、
せめて私は、自分の信じる道を歩んでいきたい。
 
 
 
 
誠する人や
後や何時までん
思む事ん叶て
千代ぬ栄い
 
凡そ誠実な人というのは
其の誠実さを尽くした後々はいつまでも、
自分が思い描いていたことが叶って
末永く幸せであるものだ。
 
他者にも自分にも誠実に・・・
きっとそうすれば、私が一番願う生き方ができるはず。
・・・其れをきっと、貴女も望んでいらっしゃるはず。
 
 
 
 
なしば何事ん
なゆる事やしが
なさぬ故からど
ならぬ定み
 
本気で成せば何事も
成ることであるのだけれど、
そうではなく、成さないが故に
成らないものなのだ。
 
だから、私は・・・・
 
 
 
 
 
爪紅の花で爪を紅く染めるように、

貴女の残してくれた想いをこの心に染めながら、

自分の成すべきことを、ひとつひとつ成してゆきたい。
 

それが私に出来る、貴女への・・・・

 

 

 

左が、元になった原曲の歌詞(琉球方言)、

右が、原曲を訳した歌詞、

中央が「かきもの」本編だと思っていただければ・・・・

 

ちなみに、この歌も2010年度の高校野球の応援に使われていたり、

私が以前参加していた吹●楽の全国コンクールの課題曲のテーマに使われていたり、と耳にすることが最近とても多くなりました。

それだけ、様々な人の心に染み渡る名曲なのでしょうね。

※ちなみに、著作権の絡みですが・・・原曲は古来より沖縄で唄い継がれている民謡であること、(仮に1959年の初レコード化が著作権で引っかかるとしても)50年が経過していることから、失効しておりますので大丈夫かと。原曲を約した歌詞も、自分で訳したものですので・・・。

 

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