我が屋敷の庭の隅に、棗の古木がある。
 
其れは、私が物心付くときには、既にあった。
祖父が、体の弱かった父のために植えたものだという。
 
 
 
『彼方の記憶、甘い迷信』
 
 
 
 
《 一 青い棗と、甘く苦い記憶 》
 
 
 
あれは確か、父がまだ存命だった頃・・・
 
父に手を引かれ、その棗の木の下に行った時のこと。
父がおもむろに手を伸ばし、まだ青い実を二つ取ると、片方を私に手渡ししてくれた。
不思議そうな顔をして見上げていただろう私の横で、手の中に残っていた実をそっと父は齧った。
実は青いが、美味しいぞ・・・そういって穏やかに笑った父の顔を見て、私も口にしたのだった。
 
干したものとは違う、梨の様な味。
此れがいつも父が口にしている薬になるなど、想像も出来なかった。
もっとも、その棗が薬湯の口直しのために植えたものだということを知ったのは、後のことではあったが。
 
ただ、その時何よりも思ったのが、
・・・父と、このように穏やかな時をずっと過ごせたならば、ということだった。
 
常に才ある朽木の者として、また一人の死神として誇り高かった父。
一方で、穏やかで優しく、私には無い温かさといったものを持っていた父。
 
心底、敬愛していた・・・この世界でたった一人の、父。
 
 
必ず強く立派な死神になり、父と共に朽木の者として規範足りうる存在になりたかった。
 叶うならば、父を助け、永く父と共に在りたかった。
 
 
 
・・・その思いは、遂に叶わなかったのだが。
 
 
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父亡き後、私は棗のことなどすっかり忘れていた。
父の分も、次期当主たるに相応しくありたい、その思いから自己を鍛錬することしか頭に無かったのだ。
だが、その邪魔をするのがあの化け猫だった。
 
その日も、奴は何の前触れも無くやってきた。
私はそのような奴の挑発に乗るまいと、無視を決め込み鍛錬のために木刀の素振りをしていた。
 
 
『・・・棗か。懐かしいのぅ。』
 
思わず、その声に手を止めてしまった。
棗の木の下で奴は此方を振り返りながらニィ、と笑うと・・・実を一つもぎ取った。
 
「貴様何をする!!その木は」
「・・・お前の父上に、生でも食えると教わったのは、何時の頃じゃったか。」
「?」
「丁度・・・お前の父上が白哉坊くらいの頃じゃったな。ワシはもっと幼くて・・・。
そうじゃった、今のように二人で木の下に居ったときのことじゃ。」
 
そう言いながら、奴は懐かしむように棗の木を見上げていた。
そして、もう一つ、奴は実をもぎ取った。
 
ホレ、食うてみぃ、と言われ、青い棗の実を差し出された。
おずおずと手を伸ばし、奴の手から実を摘み取る。
 
青い棗の味は、あの時と変わらない。
変わりつつあるのは、甘いものが苦手になりつつあったという己の味覚だけ、そう思っていた。
 
 
 
 
私に何の遠慮も無く横槍を入れてきたのは奴だけであった。
そしてその横槍の中に、いずれ私の力になるだろう術(すべ)を織り込んできたのも奴だけであった。
 
煙たい存在ではあると思いつつも、奴の為すことの意味は理解していたつもりだった。
 
 
 
 
・・・そう、当時は理由も何も理解できなかった、奴の逃亡のときまでは。
 
 
 
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『白哉様、棗の木に青い実がこんなに沢山。』
 
 
緋真が庭の棗の木の下で、此方を振り返りながら笑っていた。
結婚して4年目のことだったと思う。
既に体の具合が優れない状態であった。
 
「この実は赤くなったら収穫させよう。薬として用いる。」
「薬?」
「昔から、棗は薬草の一つとして用いてきたのだ。」
「あら・・・そうなのですか?」
 
緋真は、流魂街では青い実のまま齧ることもあったのですよ、と言って木を見上げていた。
そして、顔を曇らせた。
・・・恐らくは、猶も探し続ける妹のことを思ったのだろう。
 
「案ずるな緋真、必ずお前の妹は見つかろう。」
「・・・ええ・・・。」
「だから緋真、あまり無理はせずに」
「白哉様、青い棗の実、食べてみませんか?」
 
 
 
緋真の身を案ずる私をよそに、子どものように無邪気に笑いながら、唐突に緋真はそう言った。
 
「何をいきなり。」
「白哉様はきっと召し上がったことなど無いでしょう?」
「いや、あるが・・・。」
 
そんな私の声が聞こえていないようで、彼女はその実に手を伸ばしていた。
そして、二つ、その手に大事そうに実を包んでいた。
 
「これでも、流魂街ではご馳走だったんですよ。
勿論、此の木に生っている実は流魂街のものとは比べ物にならないくらい立派ですが。」
「・・・。」
 
「あの子も・・・きっと見つけて食べているでしょうね。」
「そうかもしれぬな。」
「この実が薬にもなっているのであれば・・・
 あの子があの土地でも元気でいてくれる手助けをしてくれているかもしれませんね。」
「・・・だろうな。」
 
「・・・せめて、この手で見つけ出すまでは、私も・・・。
 今、白哉様とこうしてご一緒しているように、あの子と一緒に・・・・」
 
そういって、懐かしそうに、けれども切なそうにその実を口にした緋真。
そのような彼女を見下ろしながら、何も言えぬまま・・・私も手渡されたその棗を口にした。
 
甘くも・・・どこか苦い味がしたような気がする。
それはこれから先の緋真のことを暗示するかのようで。
 
 
・・・緋真の願いは叶うことはなく。
 
 
 
翌年、その願いは一人残された私に託されることになってしまった。
 

 

 

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