睦月二十二日 5

 

「・・・さま、兄様・・・・」
 
気付けば・・・心配そうに私を見上げるルキアの顔が私の目に映った。
 
「・・・兄様、泣かないで・・・」
 
「・・・泣かないで・・・とは・・・」
「兄様、ご自分が泣いていらっしゃるの・・・お気づきではないのですか・・・?
・・・一体どうされたのですか・・・?」
 
ルキアはそういって私の顔に、目に手を伸ばそうとしていた。
私自身、気付かなかったが、目をぬぐえば、確かに。
・・・私は、泣いていたのだ。
 
ー・・・お前の其の手は、私の涙を、拭おうとしているのか?
お前に酷い仕打ちを与えた、この私の・・・?
 
ルキアから伸ばされたその手を、そっと私の頬に触れさせようとした
・・・理由は分からない・・・只、触れさせたかった、触れて欲しかったのだ。
 
だが、私の手はたやすくルキアに届く距離である筈なのに、ルキアの手は私に届かない。
思わず私は、起こしていた上半身を、ルキアのほうに寄せた。
この娘がどんなに努めても届かぬなら、私のほうがこの娘に合わせて動けば良い。
今までも、そうしてやれば良かったのだ・・・
 
ようやく小さな手が、私の頬に触れる、私の瞼に触れる・・・
その小さな手から流れ込む温かさに耐え切れなくなるのを恐れて、私は歯を食いしばっていた。
 
その温もりが流れ込むのを、求めていたはずなのだが。
 
 
 
 
 
 
 
「やっぱり、泣いてもいいです、兄様・・・」
 
柔らかな声色が、私の耳に響く。
それはまるで、春の雪解けを促す日の光のようでもあり、
暖かな風のようでもあり。
 
「今迄の兄様に何があったのか、私はほんの僅かしか、まだ存じ上げませんが・・・
ご自分を抑えなければならない位に、きっとお辛いことが沢山あったのでしょうね。
 ずっといつも、たったお独りで耐えてこられたのでしょう。」
「ルキア・・・」
「ですから、やっぱり・・・泣いてもいいです、兄様・・・・
ただ、私は兄様と比べてちっぽけな存在ですから、
私では兄様のことを受け止めて差し上げるには、到底足りぬかもしれません。
それでも宜しければ・・・私は、」
 
この生を受けてから久しいが、様々な事が確かにあった。
それでも私はその置かれた立場故、常に動じることなくあろうとした。
 
思えば・・・涙を流したのは、大事なものを失って以来。
 
そして今、それと等しいくらい大事なものが、目の前にいる。
・・・一度は奪われることも、自らの手で切り捨てることも、己の心を捨てる覚悟で決心した・・・
 けれども、先日の病で失うことだけは決して覚悟など出来なかった、それ程までにいとおしい位に。
 
「・・・っ、」
 
思わず、ずっと私の頬に伸ばされていた小さな手を引っ張る。
私のほうに引き寄せられ、宙にふわりと浮いたルキアの肩を、背を支え、
確りとこの腕に掻き抱き、身を起こす。
 
・・・私は、ひたすら・・・私に抱き起こされて膝立ちになったこの娘に縋り付いていた。
だが、この時までは・・・己の感情を、尚も如何にか抑えようと努めていた。
 
しかし、
 
  
「・・・兄様・・・大丈夫です。
今日、お約束したばかりじゃないですか。
 
私は兄様の、隣りに、傍に・・・
・・・ここにおりますから。
 
私は、もう・・・兄様を置いて何処にも行きませぬから・・・」
 
 
 
その春風のような、日の光のような声色が引き金だった。
山々に長年降り積もり融けることの無かった雪が融け出し、その水が一度に流れ込んだ川のように、
私の涙も感情も、最早留まること、耐えることを知らぬ濁流のようになっていた。
 
・・・そのような私をなだめ、静めるかのように、
私の髪を、頭をそっと撫でるこの娘の温もりが、
私のこの有様に更なる拍車をかけているなどとは・・・当の本人には、分かるまい。
 
 
 
ー・・・すまぬ、ルキア・・・
 
・・・だが、今日くらいは・・・お前に甘えても、良いか?
 
私にとっても、今宵は『中間の日』なのだから・・・
 

 

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