虹(5)

『誰がために虹は架かる』

 

(5)誰がために虹は架かる

こうして手品のお披露目会は無事に終了した。
私は「一緒に帰ろう」と言う夏梨や遊子らを先に帰した。片付けの手伝いをするから、と言って。
皆が其々凄かった等々と口にしながら解散していった。
解散するまでが大変で、涅隊長の周りには人だかりが出来ていて・・・思いのほか子どもたちに懐かれていたらしい。
涅隊長ご自身は其れを大層嫌がっていたが・・・浮竹隊長は「すごいな!!」と、少し羨ましそうに見ていた気がする。
「・・・さて、私は先に帰ることにするヨ。ネム、片付けてはお前に任せたヨ。」
「はい、マユリ様。」
涅隊長が穿界門を開けたとき、
「あ、あの!!・・・」
・・・日番谷隊長と、付き添われたあの少年がいた。
「何だネ、まだ用があるのかネ?私は忙しいんだヨ。
あの虹を作るために他の研究の手を止めていたからネ・・・急いで戻らなくてはならないのだヨ!!」
そういって背中を向ける涅隊長の、その背中に向かって彼は力いっぱい叫んだ。
 
「有難う!!手品師のオジサン!!」
 
「フン・・・君は人の名前も覚えられない愚か者かね。」
「・・・ごめんなさい、僕、名前を教えてもらってなくて・・・。」
 
「耳の穴をしっかりとかっぽじって良く聞くが良いヨ。
私の名前は涅マユリ。護廷十三隊十二番隊隊長及び技術開発局二代目局長の涅マユリだヨ。
・・・もっとも、今度会うときまで覚えていられるかどうかネ。
そのときまで、御機嫌よう。」
 
最後まで、此方を振り返ることなく帰ってしまった涅隊長。
けれど、彼はその背中の消える方向をずっと見つめていた。
・・・そして、残された私たちには、やるべきことがいくつか残っている。
 
 
「あの、卯ノ花隊長、浮竹隊長。」
「どうされました?日番谷隊長。」
「どうしたんだ急に・・・何時もは俺のことを『浮竹』って呼び捨てにするのに。」
何かを感じ取られたであろうお二人は、この時は・・・両親役ではなくて、あくまでも対等の『隊長』としての立場となっていた。
そしてまた・・・最初に相談を持ちかけられたときのように、日番谷隊長は思いつめた顔をしていた。
ただ、あの時とは違って、思いつめている理由が分かりやすかった。
「魂葬に、コイツを立ち合わせてやって欲しいんです。」
 
私たちは、顔を見合わせた。
魂葬は人間の目の前でもやろうと思えばできるが・・・その後が問題だ。今回は尚のこと。
現世での死神の記憶を消すために、記憶を置換しなければならないのだが、何処まで遡って記憶が入れ替わるのか、
また・・・どんな記憶に入れ替わるのかが予測できない。
下手をしたら、虹を見た記憶さえ無くすかもしれない。それでは今までの意味が無い。
 
「日番谷隊長、彼にはお爺様や妹さんが見えるのですか?」
日番谷隊長は、首を横に振った。
「ならば何故・・・・」
「見えなくても、もしもまだ居るのなら・・・自分も其の場にいたい、と。安心させて『大丈夫だから』と伝えたい、と。」
「そういえば・・・先程の涅隊長の事は見えていたのかい?
穿界門を開いていたあの段階では義骸は脱いでいたはずだけれども。」
「手品師のオジサンは見えてました。」
「霊力は無いわけでな無いみたいですが、強い霊力の存在しか見えないみたいですね。
・・・朽木さんは、どうお考えになりますか?」
「私は・・・・」
 
私も・・・何か言いたかった。でも口が動かなかった。
夏梨や遊子が今も亡き母上を慕っていることや、一護が今も母を護れなかったことを後悔していること・・・
そういった姿が脳内を過ぎっていたから。
現世の生者は、時に無理だと分かっていても・・・死者に何らかの思いを伝えたいと願ったり、何か出来ることは無いか、
と悩んだりするものである。
・・・それは、死神となって今を生きる私も同じなのだが。
 
其れを読み取られたのかどうかは分からない。
卯ノ花隊長は、質問の先を日番谷隊長に変えた。
「日番谷隊長、彼には、記憶があいまいになる可能性や・・・どんな記憶が残るか分からない可能性さえあることを伝えましたか?」
「はい。
さっき俺に爺さんと妹が見えているということがばれてしまったし、涅隊長との会話で・・・俺たちが普通じゃないということもばれてしまいました。
それで・・・隠しても無駄だと思い、爺さんと妹をどうやって送るかについても説明しましたし、それを俺たちがやることも伝えました。
そうしたらコイツは『立会いたい、見送りたい』と。
記憶を置換しなくてはならないこと、爺さんと妹を見送った記憶は残らないだろうことも伝えました。
その上でコイツは・・・。」
「ならば、良いでしょう?浮竹隊長。」
「そうだな。送るほうも送られるほうも、心置きないだろうから。」
 
その時、涅ネム副隊長が。
「あの、此処に先程マユリ様が用いられた虹の薬剤が少しだけ残っているんです。
先ほどのような大きな虹を出す事は出来ないでしょうけれど、小さくて程なく消えるような虹でしたら・・・出せるかもしれません。」
「宜しいのですか?」
「はい。技術開発局にもまだ残りがありますし。」
 
「では・・・貴方の手で、お二人が渡る虹の橋を架けてあげてくださいな。
先程の花・・・アイリスは虹を名に持つ花でもあり、また大昔には若い女性の死者に手向ける花でもあったのです。
虹の橋を渡ってあの世に旅立てるように、と。
・・・妹さんが紫の花がお好きだったのだとしたら、相応しい花だと思います。
それとも、サッカーボールに薬をかけてみましょうか・・・?」
「いえ、この花で・・・妹が、きれいだと言っていた花だから。
それに、虹・・・なんでしょ?この花。」
 
私と日番谷隊長は義骸を脱いだ。
「貴方には、今のお二人の姿は見えていますか?」
「はい。黒い服と・・・冬獅郎は、白くて袖の無い上着を着てます。
冬獅郎って・・・なんかそんな格好しているとイメージが違うな。」
「俺は何時だって何も演じちゃいないが。」
「ふふふ。その姿のほうがちょっとだけ大人っぽいってことですよ。」
「・・・ったく、此処まで来て俺をガキ扱いかよ。これでもお前ら現世の人間よりは長生きしてんだぞ!!」
 
それから私たちは、斬魄刀を抜いた。
その様子を見て、妹さんのほうがきゅっと目をつぶり、お爺様に「怖い」とすがりついた。
・・・確かに、こんな刀を見ることはないだろうし、これで斬られると思ったら怖くないわけが無い。2度殺されるような思いだろう。
だが、刀を抜いたのは斬るためでは無い。
「これから、この刀の柄の部分にある判を額に捺します。日番谷隊長と私の刀の形は異なりますが、やることは同じです。
あの・・・私たちの世界では虚と呼ばれるものになってしまった存在、現世では悪霊と呼ばれている状態なのですが、
そこまでになってしまうと・・・流石に判を押すだけでは済まないのですが、貴方達であれば、ここで捺すだけで大丈夫だと思います。」
おっかなびっくりという感じで、妹さんが私に尋ねてきた。
「それ、痛いの?」
私に代わり、穏やかな口調で日番谷隊長が答える。
「・・・こちらの世界に未練があったりすると痛みが激しいという話だが、そうでは無いのであれば・・・少し痛いだけ、だという話も聞く。
場合によっては、コツン、と頭を軽く叩かれた程度だ、という話もある。」
「大丈夫じゃよ、この死神さんたちはお兄ちゃんのお友達やご家族なんだから。ちゃんとワシらを案内してくれるじゃろ。」
お爺様が妹さんをそっと宥めてくださるのを見て、本当にありがたいと思った。
「それにほら、ワシらの事は見えなくとも・・・お兄ちゃんも傍に居て、見送ってくれるからのぅ。」
妹さんは、浮竹隊長に肩に手を置かれて・・・此方を見ているお兄さんのほうを見やった。
「お兄ちゃんは、私たちのこと見えてないの?」
私は、横に首を振った。
そっと妹さんの肩に手を置いて、宥めるように伝えた。
「だが、お兄ちゃんは・・・誰よりもお爺様と、貴女のことを思っているよ。だからこそ、ずっと悲しくて仕方なかったのだ。
心配だったかもしれないけれど、それだけは分かってあげて欲しい。」
「うん。」
 
私たちは、刀の柄頭を二人に向けた。
卯ノ花隊長は其れを見て、彼にタイミングを伝えた。
「いいですか、今の貴方なら、あの二人が刀の柄の部分をおろしたときに、もしかしたら光のようなものが見えるかもしれません。
その瞬間に・・・空に向かって弧を描くようにその花を投げ上げてください。」
「もし・・・光が見えなかったらどうしよう。」
「では、やはり私が合図をだしましょうか。一回きりですから失敗できませんものね。」
「出来るかな・・・ちゃんと・・・。」
「大丈夫さ、君ならきっと出来るさ。」
「ええ、大丈夫ですよ。」
 
「じゃ朽木、せーの、で行くぞ。」
「分かりました。」
 
「せーの!!」「今です、投げてください。」
 
お二人の額に柄頭で判を捺したと同時に、少年によって小さくも鮮やかな虹が描かれた。
 
「・・・・」
 
お二人は足元からキラキラと光の破片になって崩れて行き、青空に吸い込まれるように舞い上がっていった。
それはまるで、少年の描いた虹の橋を渡って行くかのようだった。
虹の橋に載せた思いに導かれるかのように・・・・
こんなに綺麗な魂葬は、あまり見たことがない。
 
「行っちまったな・・・。」
「ええ・・・。」
 
「・・・キミの描いた虹の橋に沿って、二人があっちに旅立っていくよ。」
「本当、ですか?」
「ああ。とっても綺麗な光の破片になって、虹の橋に導かれるように向かって行ってる。」
「痛がったりとかは、してなかった?」
「そうみたいだね。キミを見て安心したんだろう・・・穏やかな顔をしていたよ。」
「良かった・・・化物になる心配も、化物に食われる心配も、もう無いんだよね・・・。」
「ああ、大丈夫だ。」
「あなたも辛かったでしょう?・・・しっかり耐えて、よく頑張りましたね。」
 
その卯ノ花隊長の一言に、彼は・・・きっとずっと我慢していたのだろう、大声を上げて泣き始めた。
卯ノ花隊長はそっとしゃがむと、まだ幼い少年である彼を宥めるようにずっと抱きしめ、頭をなでていらっしゃった。
浮竹隊長も・・・穏やかな目でそんな彼の様子を見守っていた。
私はどんな顔をして彼を見ていたのだろう・・・。
日番谷隊長は、もう見ていられないといった感じで・・・目を逸らすことしかできないようだった。
 
・・・そんな私たちを見届けながら、彼の架けた弔いの虹も、やがて澄んだ青空に溶けていった。
 
 
そして、最後の仕事。
「悪いな、これだけはどうしてもどうにもならないんだ。一応、決まりだから。」
「うん、大丈夫・・・。」
彼の記憶を消すこと。厳密には置き換えること。
当初は日番谷隊長を気遣って浮竹隊長がやるとおっしゃったが、日番谷隊長が『自分でやる』と言って譲らなかった。
最後まで自分の手で行いたかったのだろうと思う。
本人は気付いてないし、認めないかもしれないが、それもまた彼を『友達』だと心のどこかでは認めているからだろうと思う。
「でもな・・・どんな記憶に入れ替わっているか分からないけれど、多分大丈夫だ。」
「え?」
「本当に忘れてはいけないことや、忘れたくない事は・・・ちゃんと心の奥底にしまわれているはずだ。」
「それに、」
私が言いかけた時に、日番谷隊長がふと驚いたような目を向けた。
けれども『続けろ』と目で合図してくださったので、そのまま話を続けた。
「・・・貴方は、お爺様と妹さんの悲しい現場に立ち会われた。そのとき、お二人の心を預かっているはずだから。」
「え?」
「お二人は誰にも心を残せずに死んだわけじゃない。貴方が生きていてくれた。
貴方は苦しいかもしれないけれど、其れが重要なこと。」
「・・・?」
「私は以前、大事な方から・・・死んだときに身体は霊子に戻る・・・現世でいうと『土に還る』けれども、『心は仲間に預けて行くんだ』と教わった。
だから、心を預けていく仲間のいない状態で、一人では死ぬな、と。
・・・お二人には、心を預けて行ける貴方がいた。
そして先ほども、お二人を見送って・・・ちゃんと心を受け取られた。
いや、受け取ったことを再確認できた、というべきかも知れないけれど・・・。」
「そうだな、朽木・・・お前も辛い思いをしたもんな。」
「お姉ちゃんも?・・・じゃあ、もしかして冬獅郎も・・・?」
「ああ・・・みんな・・・生きていれば、何かしらそういう耐えられないようなことを経験するものだ。
それでも生きていかなきゃいけないんだ。
俺も、お前もな・・・。」
 
 
「本当に・・・すまねぇ。」
「ううん。・・・有難う、冬獅郎。」

 

虹(4)-2に戻る / 虹(6)に進む

テキストたち11に戻る