『時化の心を凪ぐために』(前編)

 

 

朽木の邸を出る際に、つい持ってきてしまったもの。

 

「ねえさま・・・・」

 

祖霊を祀る祭壇に飾られていた、姉様の小さな遺影。

憂いを帯びていながらも、そっと柔らかな微笑を此方に向けているようなお顔だ。

探せば恐らくは他にも姉様の姿を写したものはあったのだろうとは思う。

けれども、あの時あの瞬間は、これしか思いつくものが無かったのだ。

 

「ねえさま・・・私は・・・・」

 

どうしても、一人は嫌だったから、一緒に来て欲しかったから・・・・

だが、姉様なら、今の私のことを何と仰るだろう。

 

考えが足りない、と私のことを叱るだろうか。

それとも、私のことをそっと宥めてくださるだろうか。

 

最後はきっと兄様のことをお庇いになられる、としても。

私の話を聞いてくださるだろうか。

私が何故、こんなことをしでかしているのか、を。

 

思い出も記憶もないけれど、それでも・・・

私のことを最期まで探してくれた姉様なら、きっと・・・・

 

「姉様・・・私は・・・ただ・・・・」

 

遺影を胸に抱え、私には只肩を震わせることしか出来なかった。

遺影を保護する板硝子に落ちた涙のせいか、姉様まで涙ぐんでいるように見えた。

 

 

「・・・ほんに、困ったものじゃな。」

 

 

一時的に身を寄せた浦原の許で、私はずっと息を潜めるかのようにじっとしていた。

提供してくれた部屋からも出る事は無く。

 

事情を浦原や・・・どうやら浮竹隊長からも密かに情報を得ていたであろう夜一殿が、

茶菓子を持って私の部屋に来られた。

(浮竹隊長には、1週間程度のお休みを頂く旨だけを話してきたのだが。)

 

「朽木の、如何してまたこんな突飛なことを。」

「・・・・」

「・・・まぁ、お主の気持ちも分からなくは無いがな。」

「え・・・?」

 

夜一殿は、私の横に腰を下ろした。

湯飲みをホレ、と言いながら私に差し出して、御自分も湯呑片手にポツリポツリと話し始められた。

 

「お主は当主の妹、ワシは女当主。

若干の立場の違いこそあるがの、それでもな・・・当主という肩書きだけではなく、ワシという一人の存在そのものや在り方を認めて欲しいと思ったし、
その為には様々なことをしたからな。

あの家を率いる者として、女だろうと関係なく己をこれでも律してきたし、なめられない様に力も必死に付けた。

お主のように、影で泣いたことも其れなりにあったぞ。」

「夜一殿が・・・?」

 

人好きのする、屈託のない笑顔を私に向けた。

私には出来ぬ表情。

天性のものか、それとも色々なものを乗り越えてきたが故に出来るものなのか。

 

「勿論、喜助や・・・隊の仲間らといった気の置けない奴らと一緒のときは、今こうしているみたいに伸び伸びとしていたもんじゃがな。

・・・まぁ、それも過去の話じゃ。今となっては泣いていた日々のことも笑えるものよ。」

「夜一殿・・・・」

「お主も、ずっと頑張ってきたんじゃよな・・・一番認めて欲しい奴に、認めて欲しくて。

でもそういった自分の気持ちが通じなくて、我武者羅に突っ走っているうちに自分が分からなくなってしまった、まぁこんなところかの?朽木の。」

 

不意を衝かれたかのように、ぶわりと、自分の目に涙が浮かんだ。

人前では泣くまいと、泣くときは一人のときだけだと、ずっと堪えてきたのに。

 

「泣け泣け、朽木・・・大丈夫じゃ、ワシしか居らんからの。

ワシは怒りもせぬし、無理にお主から聞き出したりもせぬから、好きなだけ泣いていいぞ。

勿論、お主から話してくれるのならば大歓迎じゃ。

・・・じゃが、無理意言わずとも良い。お主の好きなように振舞えばいい。」

「・・・っ」

 

夜一殿にすがりつき、声を上げて私は泣いていた。

よしよし、と頭と背中をなでてくれる手はとても優しくて。

 

 

「・・・朽木の。

泣くだけ泣いて、ちぃとはすっきりしたかもしれんが、ここでこうしていてもお主の心など晴れやせぬわ。

それに、あの白哉坊ならばさっさとここを嗅ぎ付けてくるに違いあるまい。

奴はそういう生き物じゃからな。」

「そうですよね・・・これ以上ご迷惑になるようなことも出来ませぬから。」

「そこでじゃ、朽木の。ちょいと、旅に出ては見ぬか?」

「旅・・・ですか?」

「そう、旅じゃ・・・現世の繋がりとも、死神の繋がりとも距離を置いて、お主を見つめなおす旅じゃ。気分転換にもよいかもしれんしのぅ。

浮竹から聞いている。ここ最近は自分を追い込むような状態で、痛々しくて見ていられなかったと・・・。」

「・・・・」

「・・・とはいっても、お主も現世のかりそめの姿はさしずめ高校生。

あまり無茶な旅は避けたほうが良いが。

お主が望むようならば、あとでテッサイにでも宿の手配やら色々と手伝ってもらうとしようか。」

「一人旅ですか・・・でも、いいかもしれません。瀞霊廷や空座町とも違う景色を見ながら一人考えるのも。」

 

「・・・といっても、お主は今回、一人じゃなかったのぅ?」

「え?」

「・・・少ない荷物の中に・・・一緒に連れてきたんじゃろ?」

 

夜一殿の視線の先には、姉様の遺影。

出しっぱなしだったのだ。

 

「・・・姉様と・・・?」

「・・・お主の姉じゃったか。よぅ似ておると思ったわ。

ならば、姉上と『姉妹水入らず』、二人で行って来ればいいんじゃないかのう?

そうすれば、寂しく無かろう?

色んな思い出も作ると思ってな、いつかはこの顛末も笑って懐かしむことが出来るように。

『あのボンクラ兄様に苛立って、姉上と家出したこともあった』と・・・・」

「ちょ、ちょっと其れは流石に・・・・」

「姉上と一緒に、現世の景色を見て回れば良いのではないか?

お主は流魂街出身じゃったな。ということは姉上も現世で命を落として流魂街にやって来た方じゃろう?

その姉上の生きていた時代と、こんなにも現世は変わりましたよ、と、教えてあげるのも良かろうよ。」

「でも、実は姉とは生きているうちに再会も出来ませんでしたし、勿論声を聞くことも、姿を見ることもできなくて・・・
姉は、私のことを探してくださっていたそうなのですが。」

「そんな姉上であっても、お主にとっては大事な存在なんじゃろう?

でなければ、こうして一緒に此処まで連れてくるはずがあるまい。」

 

ニカッ、と屈託のない笑みを見せたその人は、遺影の姉とはきっと違うけれど、

まるで背中を力強く押してくれる・・・やはり姉のようだと思った。

 

「さて、そうなれば・・・テッサイに頼むとしようか。

心の整理が出来るような、良い旅になるとよいのぅ。」

「ですが、あの・・・あいにく先立つものが。」

「そんなの後で如何にでもなろう。のぅ、喜助。」

 

「おや、私が聞いているのバレてしまいましたか。」

「結構前から聞き耳立てておったろう?テッサイもおるのじゃろ?」

 

襖を開けて、浦原とテッサイ殿が入ってこられた。

 

「さすが夜一サン。

・・・朽木サン、お金のことは今回はアタシも何も言いませんよ。」

「だが・・・。」

「前々から色々と朽木サンにもお世話になりましたし、アタシのほうが朽木サンに対するツケが溜まっているような状態ですからね。

ですので、今回の旅はアタシらからのプレゼントということで。」

「行きたいところや希望を、私めに是非お話下さいませ!!

出来るだけ叶えられるように、そして早く出発できるように致しますゆえ!!

早い方がよいのでしたら、明日にでも!!」

「浦原・・・テッサイ殿・・・・。」

 

「朽木の、職務以外での初の一人旅じゃ。喜助、テッサイ、ぬかるなよ?」

「了解。」

 

「・・・お主の姉上と二人、良き旅になるといいのう?」

「夜一殿、何故に私などにこのような・・・・」

「なーに、ワシは世話好きなんじゃよ、基本的に。

もっとも、昔のワシを見ているようでもあったからな、今のお主は。

若干の性格の違いこそあるがの。

境遇はワシに似て、性格はあ奴の幼い頃にそっくり・・・ちょっかいも出したくなるわけじゃ。」

 

テッサイ殿は私の希望を色々と聞いてくださり、あっという間に交通手段や宿の手配を終えていた。
「旅の行き先でこのようなものがありますぞ、是非立ち寄られては?」といって・・・旅のしおりまで準備されていた。

 

「これはまるで遠足のようですネ。いや現世の『修学旅行』・・・。」

 

あんなに鬱屈して、耐えられぬと飛び出して・・・今ここに至っているわけだが。

まさかこのような状況になっているとは、あのときの私には想像すら出来なかったろう。

 

「朽木の、明日は早いからもう寝るが良い・・・といっても、興奮で寝れぬやもしれぬのぅ。」

「だ、大丈夫です寝れます私は子どもじゃありません!!」

 

ニィ、と笑って夜一殿がそう仰るものだから、私も慌てて反論する。

そして皆の笑いに包まれる。私もつられて思わず笑っていた・・・。

そう、笑っていたのだ・・・久しぶりに。

 

「そうじゃ、朽木の。お主に旅のお守りをやろう。」

 

よき旅になるように、と夜一殿は私に小さな包み紙を差し出した。

中には、光沢のある幅広の小さな葉が一枚。

ただ、そこらにある木の葉と違い、葉脈が平行に走っている。

 

「夜一殿、此れは・・・・」

「なぎの葉じゃ。」

「へェ、この辺りにもあったんですね、夜一サン。」

「散歩がてら近くの神社に立ち寄ったらの、偶々見つけたのじゃ。」

「綺麗な葉っぱ・・・・」

「・・・朽木の、此れは旅の守りじゃ。

『なぎ』という名前が『凪』に通じるとして、特に海路の守りとされたそうじゃが、

海路だけでなく道中の安全全般にもご利益があるやもしれぬからな。

懐にでも入れて持っておれ。」

「ありがとうございます。」

 

−なぎは道中の安全だけでなく、家内の安全や男女仲の円満も取り持つものだというからの。

・・・早く仲直りも出来るとよいのう、朽木の。

 

翌朝、私は浦原が貸してくれた小さな「きゃりーばっぐ」と、貴重品を入れた小さな鞄を旅の供にして出発した。

朝も早かったにも関わらず、夜一殿や浦原、テッサイ殿が見送ってくれた。

勿論海路ではなく、近所の駅から乗り継ぎ、新幹線とやらに乗るのだ。

・・・もっとも、ぐるりと各地を巡った末の最終目的地は・・・此処からそれ程遠くもない場所だし、

こじつけではあるけれども、夜一殿が下さった葉の名前に関わりがありそうな場所ではある。

 

どうしても、何故か其処に行きたいと思ったのだ。

 

『椎茸』へ戻る

 

『なぎ』(後編)へ進む

テキストたち13へ戻る