『遠くへ至りて見ゆるもの』(後編)

 

 

二人で、只並び座って海を眺めていた。

どちらからも言葉を発することがなく・・・いや、出来なかったのだと思う。

 

どれくらいの時間が経ったのだろうか。

漸く、兄様が口を開いた。

 

「現世の旅は、如何様だったか?」

「興味深いものが沢山ありました。」

「そうか。」

 

再び、沈黙が包む。

耳に入るのは、波の音と、時折吹く春の風音。

 

「千年の歴史を刻む街にも行きましたし、常に新しい歴史を刻もうとする街にも行きました。

見ている視点が異なるとはいえ、其処にあった根幹は似ているようにも感じられました。」

「それはどのような?」

「哀しみや過ちは繰り返され、傷つくこともありますが・・・其処に思いがある限りは、どんな形であれ、再び築いて行けるのだ、と。

『過去を見つめて歴史を重ねていく』か、『明日を見据えて歴史を重ねていく』かという視点の違いこそありましたが。」

「そうか。」

 

「・・・兄様、」

 

ゆっくりと、兄様の視線が私を捉えた。

先ほどは泣きそうな色に見えたその目が、今は穏やかに凪いでいる。

何故そんなに凪いでいるのだろう・・・次に用意していたはずの言葉を見失う。

 

その時、兄様の口から思いもよらぬ言葉が紡がれた。

 

「・・・お前は、私を尚も兄と呼んでくれるのか。」

「え・・・?」

 

何故、その様なことを仰るのか、私には一瞬理解できなかった。

 

「お前がいなくなり、あの部屋に残されていた・・・萎れたシャガと書きなぐられた半紙を見てから、

私はお前に捨てられてしまったのかと、思った。

色々考えた・・・最早私はお前に兄とは呼ばれることなど無いのかも知れぬ、とも。」

「兄様・・・・」

「お前がいなくなって、身勝手な考えも巡らせた。

真っ先に込み上げたのは怒りや疑いだったのだ。

だが、お前がどんな思いで朽木の邸を飛び出したのか・・・己のことを省みれば、腑に落ちる。」

「・・・・」

「思い返せば、お前に私を兄と呼ばせてやって欲しいというのは・・・お前の姉の願いだった。

だが、お前自身が・・・私を兄と呼びたくて呼び始めたわけではなかったな、と。

朽木家に引き取られ、兄と呼べといわれて・・・お前は私を兄と呼び始めたのだ。

私とお前の始まりとは、そんな程度のものだったのだ。当たり前のものでは無かった。」

 

淡々と語る兄様の声色は、何処か寂しそうでもあった。

此処まで視線や声色に表情を出されることなど、無いだろうに・・・。

 

「だが、何時しか私はお前から兄と呼ばれることが当たり前のことなのだと思うようになっていた。

お前が出て行って・・・お前を追いかけて現世に向かった後、二度と私の許に戻らぬやも知れぬと考えたとき、
其れが当たり前では無かったことを思い出したのだ。

愚かなものだ。

・・・己の言動が原因とはいえ、恐怖を感じた。」

「兄様が其の程度のことで恐怖など、」

「幾度と無く死神として、また朽木を統べる存在として肝を冷やすような思いに至る経験はあるが、其れとは異なる・・・
己の力ではどうにもならぬ事柄に対するもの。」

「兄様・・・・」

 

兄様がそのようなことに恐怖を感じたなどと・・・・

私如きに。

朽木の家を、そして六番隊を統べる存在が。

 

「・・・思い至ったのだ。

何故にお前が望む望まないに関わらず、お前に対しあの様な接し方をしていたのか。

・・・ただ、怖かったのだろうな。いずれお前が離れてゆく、そう分かっておりながらも。

お前を・・・何かで繋ぎとめておきたかったのやも知れぬ。」

 

浅ましいことだ、と・・・兄様は付け加えて、そして口を閉ざされた。

 

「兄様、」

「・・・・」

「・・・私の話を、聞いてくださいますか?」

 

兄様は何も仰らない。

けれども、その気配は肯定を示していた。

積極的に聞きたい、というわけでは無いのだろうけれども、全てを受け入れるだけの構えはある、という雰囲気だった。

私は、語ることの出来なかった胸の内を少しずつ言葉にしてみる。

 

「私は、兄様にとって一体どのような存在なのか、分からなくなってしまっていたのです。

自分を見失ってしまったというか・・・。

そんな考えに至るきっかけのひとつが、兄様がいつも私に下さる贈り物です。」

「・・・・」

「兄様はいつも私に贈り物を下さいます。

もしかしたら、其れは兄様にとっては当たり前のことなのかもしれませんが・・・私には理由も無く与えられるそれらが心苦しいものでした。

まるで、駄々を捏ねた子どものご機嫌取りに与えられる菓子のようでもあり、また・・・下世話な言い方ですが、囲われた者に対し与えられるもののようでもあり。

兄様は私に『兄』と呼ばせてくださってこそおりますが、本当はどうなのか・・・と。

菓子や贈り物を与えておけば大人しく言う事を効く幼い預かり児だとお思いなのか、それとも・・・・」

「莫迦なことを・・・・」

「でも、本当にそう思わずにはいられなかったのです。

紆余曲折があった後、兄様を本当に兄と呼んでよいのだと知って・・・その後兄様から色々なものを頂いたときは、本当に嬉しかったんです。

ですが、段々と・・・何故こんなに物ばかりを頂くのだろうか、と思い始めてしまいました。

それから、素直に喜べなくなってしまって。けれども兄様をがっかりさせたくなくて。

言葉数が少なくてもいい、ただ私は兄様と・・・本当に兄妹らしく、今まで色々とあった分・・・その空白を埋めていけるような
何か話ができれば良いなと思っておりましたが、それを物で埋めようと思っていらっしゃるのだろうか、と考え始めてしまって。

それでは今までと変わりが無い・・・兄様は、真相を私に打ち明ける前の関係に戻りたいのだろうかと。私が『朽木の新しい飼い猫』と
裏で揶揄されていた時のような状況に・・・・」

「それは」

「兄様は・・・これらの贈り物で何をしたいのだろうか、と。

私を『妹』として繋ぎ止めておくには余りあるものでしたから・・・。

だって、あの一件があって・・・どんなお気持ちで私を引き取り、兄と呼ばせてくださったのか・・・私は既に知っていたから、それだけでも十分だったのです。
本当に、兄様を兄様だと思っていいのだ、少しずつでも頼りにして良いのだ、そう分かっただけでも。

なのに・・・・」

 

再び、沈黙が私と兄様を包んだ。

 

近くに咲いていた、薄紫色の花を一房、摘み取る。

豆の花だった。

 

「兄様、

私は兄様に比べたらまだまだ幼くて頼りない存在かもしれません。

ですが、私なりに、それなりに必死に自分の道行きを開こうとしております。

それは一人の死神として、朽木の名を名乗るものとして、色々な側面がありますが。」

「・・・・」

「そして、私は兄様に比べたら・・・この名も知らぬ花のような路傍の詰まらぬ存在かもしれません。

ですが、この花のように様々な彩りや表情を持っております。

私は、ただ兄様に・・・そんな私の様々な面を見て欲しいのです。

物を与えられて私が喜ぶ顔だけでなく、もっと様々な・・・一人の存在として当たり前に持っているだろう自然な一面を、当たり前のように知って欲しいのです。

兄様は、今まで私が見せてきた・・・笑みの無い表情など見たくないと仰られるかもしれませんが、ずっと喜んだり笑ったりしている私など、
それはきっと私ではありません。」

 

兄様に、そっと花房を差し出す。

おっかなびっくりといった様相で、そっと兄様は手を差し出し、花房を手のひらに受け取った。

今まで私にあれだけの物を贈ってきた方が、自分が受け取るのは慣れていない・・・この小さな花房一つなのに。

 

「それに、兄様・・・・

私と兄様の関係が、贈り物が無いからと言って簡単に壊れてしまうような関係だとお思いですか?」

「ルキア、」

「兄様に勘当されてしまえばそれで終わる関係でこそあれど、今なお私は兄様を兄様とお呼びしております。

それが私の答えです。

・・・色々と見て周って来ましたが、ふとした時に兄様のことが脳裏を過ぎったりしていました。

私を繋ぎとめるモノに頼らずとも、私にとっては、十分に兄様は兄様なのですよ。」

 

後は兄様次第です、家出娘を勘当なさるなり何なりとしてください、と言えば、

ふ、と兄様は・・・笑った。

 

「お前は先程言っていたな。

哀しみや過ちは繰り返され、傷つくこともあるが・・・其処に思いがある限りは、どんな形であれ、再び築いて行けるのだ、と。

・・・繰り返さぬように善処はする。」

「あまり繰り返されても困ります・・・。」

 

謝ることに慣れていないこの方らしいというか。

 

兄様は立ち上がり、軽く砂を払った。

そして、握りつぶさぬようにそっと花房を包んだ手とは反対の手を、私に差し出した。

『きゃりーばっぐ』を片手に持ち、その反対の手で・・・兄様の手を握って立ち上がる。

 

「お前が望む限り、お前の行く場所は多々あれど、お前の戻る場所は一つだけだ。」

「はい。」

 

 

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